変わるということ

長い期間の修行や苦労によって手に入れたものに価値があるのか。
以前にホリエモンこと堀江貴文氏が「寿司職人が何年も修行をするのはバカ」なんて発言をし、たくさんの反響がありました。

ざっくり言うと、寿司職人になるためには、皿洗いや飯炊き、玉子焼きなどの修行をしたうえで、寿司を握らせてもらうのに8年かかる。そのため、一人前になるのに10年かかる。
握るのが難しくて10年かかるのならともかく、握らせてもらうのに8年も費やすことに価値があるのかといったもの。
若者が、寿司職人を目指して10年修行をした後に、自分には向いていないことがわかったらどうするのか。10年もたってしまっていてはリカバリをすることも難しくなるのではと言っていました。


この発言の賛否ではなく、その内容を聞いて、確かに私自身も旧来型の考えに固執している部分があるなと考えさせられました。

私は中学の時に部活でサッカーをやっていたのですが、1年の時は、スパイクを履くどころか、ボールにも触らせてもらえませんでした。
毎日何キロも走り込み、その後は先輩の練習のボール拾い、最後はグランドの整地。これが当たり前だったんですよね。
そのことが決してムダだとは思いませんが、そうやって自分たちが苦労してきたことは尊いことだとずっと思っておりました。

最近ではオリンピックなどの世界スポーツにおいて優勝するのは3歳から教えてもらっていたとか、そういった人たちばかり。
そんな幼少のころからやっている人たちと戦っていくのに、1年間も球拾いをしている場合でしょうか。

世の中にインターネットが出現してから、世の中の変化のスピードが劇的に早くなっています。
1年前に流行っていたこと、常識だったことが1年後にはもう廃れてしまっている。そんな世の中の変化に対応していくのに、「下積み」や「修行」、「根性」などだけでついていけるのかと言うと、確かに難しいかもしれないと感じます。
物事の変化が劇的に早い現代、「背中を見て、盗め」では、置き去りにされてしまうかもしれません。

技術は盗ませるものではなく、教えるもの。自分たちが10年かけて苦労の末手にしたものは、後輩にはコツややり方を丁寧に教えて3年で習得させる。

「苦労して手に入れたものは尊い」と思うのは、きっと「自分がこんなに苦労してようやく身についたことを、そんなに簡単に教えたくない、自分と同じだけ苦労した者にこそ初めて教えたい」といった教える側の心理も働いているからだと思います。

「働き方」なんかも今話題になっておりますが、やはり未だに「休みの日にまで働いている」だとか、「遅くまで仕事をしている」といった拘束時間に重きを置いた考えが日本人には残っているのが現状ではないでしょうか。
ただ、ここにきて、裁量労働制の採用であったり、働いた時間よりも成果や創造を生み出したものに対して評価し、オンとオフをしっかりと区別する働き方がフォーカスされるようになってきました。

働き方そのものに対する考え方も変化しているのです。

こう言った議論では、常にどちらが「正しい」のかが争点になりますが、
どちらが「正しい」のではなく、時代の変化に応じた考え方を取り入れること、それが出来る能力が今後重要になってくると思います。

変化に対応することで一番重要なことは、「考え方を変える事」。
考え方は、幼少のころからの経験や環境に基づいて醸成されているものですので、簡単に変えることが出来ません。
自分が正しいと思っていることが、「今の時代本当に正しいのか」常に自分に問いかけることが重要だと思います。